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北島三郎・藤あや子 -- 夫婦綴り

이호(李浩) 2016. 9. 16. 10:08

北島三郎・藤あや子 -- 夫婦綴り



夫婦綴り  デュエット曲  オリジナル曲

2016年5月18日発売

北島三郎・藤あや子作詞:伊藤美和/作曲:原譲二








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伊調馨選手に国民栄誉賞授与へ 五輪4連覇      毎日新聞http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160913/k00/00e/010/252000c?fm=mnm

  政府は13日午前、リオデジャネイロ五輪のレスリング女子58キロ級で金メダルを取り、五輪4連覇を達成した伊調馨(かおり)選手(32)に国民栄誉賞を授与することを正式に決定した。菅義偉官房長官が記者会見で明らかにした。授与の日程は今後調整する。

 菅氏は「人一倍の努力と厳しい修練の積み重ねにより、最後まで勝利をあきらめずに金メダルを獲得した。オリンピック競技史上初めて女子個人種目4連覇という世界的な偉業を成し遂げ、多くの国民に深い感動と勇気、社会に明るい希望を与えた」と授与の理由を語った。

 伊調選手は青森県出身。地元のクラブで5歳を前にレスリングを始め、愛知・中京女子大付高(現至学館高)3年時の2002年に世界選手権で初優勝し、中京女子大(現至学館大)2年時にアテネ五輪で優勝した。国民栄誉賞はプロ野球の長嶋茂雄松井秀喜両氏(13年)以来で、24例目。女子レスリングでは、五輪と世界選手権で計13連覇した55キロ級吉田沙保里選手が12年に国民栄誉賞を受賞している。

 国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」を目的とした賞で、首相が表彰する。【高本耕太】


国民栄誉賞

国民栄誉賞(こくみんえいよしょう)は、日本内閣総理大臣表彰のひとつ。これまでに23人と1団体が受賞しており、賞の運用は1977年昭和52年)に定められた国民栄誉賞表彰規程に従って行われている。

内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の1966年昭和41年)に当時の総理大臣佐藤栄作が創設した「内閣総理大臣顕彰」がある。


受賞者[編集]

これまでに22個人1団体に対して授与されており、うち12名は没後の受賞であった[7]。2011年(平成23年)には初めて、団体としてのサッカー日本女子代表に授与され、その対象は選手とスタッフの35名となった。


国民栄誉賞受賞者一覧[8]
受賞者氏名
(芸名等)
受賞時年齢授賞式開催年月日
(授与内閣)
職業受賞事由他の栄典
1王貞治37歳1977年9月5日
福田赳夫内閣
プロ野球選手通算本塁打数世界新記録達成(756本)。文化功労者
2古賀正夫
古賀政男
没後受賞
(満73歳没)
1978年8月4日
福田赳夫改造内閣
作曲家独自の曲調「古賀メロディー」作曲による業績。従四位
勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
3長谷川一夫没後受賞
(満76歳没)
1984年4月19日
第2次中曽根内閣
俳優真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献。勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
4植村直己没後受賞
(満43歳没)
1984年4月19日
(第2次中曽根内閣)
冒険家世界五大陸最高峰登頂など。
5山下泰裕27歳1984年10月9日
(第2次中曽根内閣)
柔道選手柔道における真摯な精進。前人未踏の記録達成など。
現在の受賞者の中で史上最年少記録保持者(個人)。
紫綬褒章
銀杯一組(菊紋)
6衣笠祥雄40歳1987年6月22日
第3次中曽根内閣
プロ野球選手連続試合出場世界新記録達成。
7加藤和枝
美空ひばり
没後受賞
(満52歳没)
1989年7月6日
宇野内閣
歌手真摯な精進、歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた。紺綬褒章
8秋元貢
千代の富士
34歳1989年9月29日
第1次海部内閣
大相撲力士通算勝ち星最高記録更新。
相撲界への著しい貢献。
従四位
旭日中綬章
9増永丈夫
藤山一郎
81歳1992年5月28日
宮澤内閣
歌手歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功労。
美しい日本語の普及に貢献。
従四位
勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
10長谷川町子没後受賞
(満72歳没)
1992年7月28日
(宮澤内閣)
漫画家家庭漫画(『サザエさん』)を通じて
第二次世界大戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えた。
勲四等宝冠章
紫綬褒章
11服部良一没後受賞
(満85歳没)
1993年2月26日
宮澤改造内閣
作曲家数多くの歌謡曲を作り、国民に希望と潤いを与えた。従四位
勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
12田所康雄
渥美清
没後受賞
(満68歳没)
1996年9月3日
第1次橋本内閣
俳優映画『男はつらいよ』シリーズを通じて、
人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた。
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
13吉田正没後受賞
(満77歳没)
1998年7月7日
第2次橋本改造内閣
作曲家独自の曲調「吉田メロディー」の作曲により
国民に夢と希望と潤いを与えた。
従四位
勲三等旭日中綬章
紫綬褒章
14黒澤明没後受賞
(満88歳没)
1998年10月1日
小渕内閣
映画監督数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに、
世界の映画史に輝かしい足跡を残した。
従三位
文化勲章
文化功労者
銀杯一組(菊紋)
15高橋尚子28歳2000年10月30日
第2次森内閣
陸上競技選手2000年シドニーオリンピック女子マラソンで優勝し、
陸上競技で日本女子選手初の金メダルを獲得した。
銀杯一組(菊紋)
16遠藤実没後受賞
(満76歳没)
2009年1月23日
麻生内閣
作曲家世代を超えて長く愛唱される、
情感に満ちあふれた名曲を数多く世に送り出した[9][10]
正四位
旭日重光章
文化功労者
紫綬褒章
17村上美津
森光子
89歳2009年7月1日
(麻生内閣)
女優長年にわたって芸能分野の第一線で活躍し、
特に『放浪記』において2000回を超える主演を務めた[9][11]
現在、存命中に受賞した者の中では史上最年長保持者。[12]
従三位
文化勲章
勲三等瑞宝章
文化功労者
紫綬褒章
18森繁久彌没後受賞
(満96歳没)
2009年12月22日
鳩山由紀夫内閣
俳優芸能の分野において長年にわたり第一線で多彩に活躍。
数多くの優れた演技と歌唱は広く国民に愛された[13][14]
従三位
文化勲章
勲二等瑞宝章
文化功労者
紫綬褒章
紺綬褒章
192011 FIFA
女子ワールドカップ
日本女子代表
団体受賞2011年8月18日
菅第2次改造内閣
女子サッカーチーム東日本大震災などの発生によって
日本国民が極めて困難な状況下に置かれるなか、
同年のFIFA女子ワールドカップで初優勝を果たし、
最後まで諦めないひたむきな姿勢によって
国民に爽やかな感動と困難に立ち向かう勇気を与えた[15]
褒状紫綬[16]
20吉田沙保里30歳2012年11月7日
野田第3次改造内閣
レスリング選手世界大会13連覇というレスリング競技史上、前人未到の偉業を成し遂げ、
国民に感動と希望、勇気を与えた[6]
紫綬褒章
21納谷幸喜
大鵬幸喜
没後受賞
(満72歳没)
2013年2月25日
第2次安倍内閣
大相撲力士1960年代に“子どもの好きな物”として
読売ジャイアンツ玉子焼きと並び称されることが流行語になったほどの人気者。
大相撲史上最多となる32回の幕内優勝を成し遂げるなど、
“昭和の大横綱”として相撲界に輝かしい功績を残すとともに、
多くの国民に愛される国民的な英雄として
社会に明るい夢と希望と勇気を与えることに顕著な業績があった[17][18]
正四位
旭日重光章
文化功労者
22長嶋茂雄77歳2013年5月5日
(第2次安倍内閣)
プロ野球選手闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さで野球史に輝かしい成績を残し、
“ミスタープロ野球”として誰からも愛される国民的スターとして
プロ野球を国民的なスポーツにまで高め、
野球界の発展にきわめて顕著な貢献をしたとともに、
国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与える事に顕著な実績があった[19][20]
なお、受賞日をこの日(2013年5月5日)に選んだ理由は、
長嶋の背番号『3』、および長嶋のプロ生活から55年にちなむ。
文化功労者
23松井秀喜38歳2013年5月5日
(第2次安倍内閣)
プロ野球選手長嶋茂雄との師弟関係にあり、ひたむきな努力と真摯なプレイにより
日米通じて20年間にわたり常にチームの主軸を担い、
日本人初となるワールドシリーズMVPの獲得など数々の素晴らしい成績を残し、
“ゴジラ”の愛称で日米の国民から愛され、親しまれ、
その活躍は社会に大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に夢や希望を与えた[19][20]
なお、受賞日をこの日(2013年5月5日)に選んだ理由は、松井の背番号が『55』であるため。
24伊調馨32歳未発表
第3次安倍改造内閣
レスリング選手オリンピック競技大会史上初めて、
女子個人種目四連覇という世界的な偉業を成し遂げられ、
多くの国民に深い感動と勇気、社会に明るい希望を与えたこと[21][22]

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